自分がどう見られているかには注意を払ったほうがいいよね(若干改)

前の前の記事:実際に性犯罪が増えるか減るかは(あまり)問題じゃないんだってば - Chambre Resonnante
続きです。

挙証責任と悪魔の証明

kilrey 社会, リテラシ 逆逆。ポルノグラフィー規制論者が"女性に対する偏見・ステレオタイプを惹起する"ことを立証しないとダメよ。

LivingWrong 悪魔の証明, ジェンダー, 人権 現状認識としては正しいと思うが、id:kilrey氏がブコメしているように、立証を行うべきなのは規制をかけようとする側だと思う。「女性に対する偏見・ステレオタイプを惹起しない」ことの立証ってまるで悪魔の証明だよ。

いや実は、記事を書きながら「これって挙証責任は規制論者にあるんだよなあ……」とは思ったんです。ただ、挙証責任は向こうにあるんだよ〜と言うだけでは却って反規制論者の不利になる予感がしたので、あえて書きました。というのも、挙証責任について正しい知識を持ち合わせている人は少ないからです。少なくとも高校まででは習いませんし、Wikipediaの「証明責任」の記事を読んでサラッと理解できる人は稀でしょう。そのようなものの存在すら知らない人が(ともすれば為政者の中にも!)相当数いるのではないでしょうか。そのような状況下で、「挙証責任は向こうにある」と言ったとしても、それは見る者にとって「自らの公正性を立証することを放棄した態度」にしか見えない恐れがあります

論理的には、規制推進側に挙証責任があることに疑いはありません。もし万一政府が規制に動くとして、立証がなければ違憲ということになります。しかし、「挙証責任は向こうにあるから」として自らを立証する努力を放棄することは得策ではありません。
あるいは、規制論者が一見証拠に見えるようなものを提出するかもしれません。そのような場合にも速やかに対応できるように、準備すべきだと思います。

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悪魔の証明についても述べましょう。これもやっぱり「これって悪魔の証明だよなあ……」と思いながら書いたのですが、よくよく考えてみると悪魔の証明ではないかもしれません。ちょっと血液型性格診断の話を思い出してください。
「血液型と性格には相関関係がない」ことを立証するには、血液型と性格に関するサンプルを集めて検定にかけ、優位な相関が検出されないことを立証すればよいわけです。これができれば、「相関関係があることは立証されていない(=今後立証されるかもしれない)」ではなくて「相関関係がない(独立である)ことが立証された」という、強い主張ができます。(間違ってたらごめんなさい)
ということは、「ポルノの有無」と「女性に対する偏見」に関するサンプルを集めて検定にかければいいのではないでしょうか(ただし、「女性に対する偏見」の度合いをどう測定するのか、という問題は依然としてある)

ウェブにかかれたものは原則として誰からも見えるという当たり前のこと

あと、これについては苦言を呈さねばなるまい。

Thsc サブカル 我々は悪魔の証明を要求する気違い女性様共に対して立証責任を負うし、創作物に対する偏見・ステレオタイプは一切合財正当、という主張だな/モノを踏みにじっても何とも思わないと指摘しておく。要はモノ化してない

挙証責任については前の議論を参照してください。それよりも心配なのは、「公開ブックマークにつけられたコメントは世界のどこからでも読める」という至極当たり前の事実はどこにいっちゃったんだろということです。
反ポルノ規制論者は「社会通念上よろしくないとされがちなものを擁護しようとしている」時点で重いハンディキャップを背負っています。人々の理解や共感を得にくくする言動は、いわばオウンゴールのようなもので、規制論者を利するだけです。本当に創作物を守りたいなら、「気違い女性様共」などという文言は即刻削除すべきです。

API 児童ポルノ, 表現の自由 これは思想統制だろ。レイプ願望は男性だけじゃなくて女性にもあると思うけどね。ロリコンと同じように一種の性癖なんだよ。レイプ思想をゲームにしてはまずい根拠を明白にしないと駄目だろ。

たしかに思想・心情の自由ならびに言論の自由の範疇ではあるのですが、「レイプ願望は男性だけじゃなくて女性にもあると思う」という言明は、それ自体が「女性を性的なモノとして捉えるステレオタイプの発露である」と解釈される恐れがあります。今このタイミングでのこの言明は不利と思われます。ついでに言うと、「男性にはレイプ願望がある」という言明は、一部の男性を貶めるかもしれません。

まとめ

  • 挙証責任は規制しようとする側にある、のは確かだけれど、世の中にはそれがわかっていない人も多い。そういう人たちが反規制論に納得してくれるような仕組みづくりが大切。「挙証責任はこっちにはないから何もしなくてよい」「議論の仕方も知らない奴らとは付き合えない」では、敵を増やすばかりでいいことはない。
  • 自分たちの言動が「世界中の人から見られている」ことを意識しよう。どんなに論理的でも、他人を悪し様に言う人と仲良くしようという人は少ない。味方を増やす工夫と努力が大事。

追記

id:T-3donさんのお話を伺って、若干追記しました。コメントありがとうございます。