実際に性犯罪が増えるか減るかは(あまり)問題じゃないんだってば

タイトルは半分だけ釣りです。

まず、私は誰の味方なのか?

自分でもわかりません。ただ、色々な人の主張における論点の食い違いを明らかにしたいと願う者です。

「性犯罪の数」だけが評価基準?

YOMIURI ONLINEの記事に対するブックマークコメントでも何件か見られたのが「実際の性犯罪の件数が少なければいいじゃないかメソッド」。例として一件引用させていただく。

cubed-l エロゲ, 性 実際に罪を犯さない限りどのような嗜好でも自由であって欲しいな/正直この手のは広告ですら見たくはないけど、こういう嗜好を持つことそのものが犯罪のような言われようには違和感を感じる 2009/05/08

心情的には、私もb:id:cubed-lさんの意見に賛同したいところなんだけれども、おそらくこれではEquality Nowのような人たちとは議論がかみ合わないであろう。
昨日翻訳した声明をもう一度見てみよう。

日本の法律がストーキングを「その人物に対する愛情あるいはその他の好意的感情を満たすための」あるいは「それらの感情が満たされないがゆえの怨恨による」行為として説明していることについて、CEDAW委員会は懸念を表明している。このような説明付けはhentaiにおいて蔓延しており、例えば日本の売れ筋の(succesful)漫画「THE レイプマン」は、夜ごと「スーパーヒーロー・レイプマン」に変身する男性教師を描いている。彼は怨恨を鎮めるため、あるいは恋人を無下にした女性たちに「お灸をすえる」ためにレイプを行う。

お気づきだろうか。この部分で問題とされているのはレイプ描写そのものでも、この描写に惹起されるかもしれない可能的な性犯罪でもない。そう、ここでは、性差や性犯罪といった物事に向けられる視線こそが問題なのだ。

女性への偏見と女性のモノ化のデススパイラル

もう一箇所見てみよう。

一般勧告第19条「女性に対する暴力」において、CEDAW委員会は「性に基づく暴力は、男性との平等の原則に基づく権利および自由を女性が享受するための能力を深刻に脅かす、差別の一形態である」ことを確認している。特に、「女性を男性の従属物とみなしたり、ステレオタイプな役割を持っているものとみなすような伝統的振る舞いは、暴力や抑圧を含む広く蔓延した行為を維持する……このような偏見また行為は、女性を囲い込むまたは支配する形態としての性に基づく暴力を正当化しかねない……これらの振る舞いはまた、ポルノグラフィーの蔓延や、女性を個人としてではなく性的な対象として扱うような描写またそのほかの商業的営為を増長するものである。これらがさらに性に基づく暴力を増長している」とコメントしている。

「女性を男性の従属物とみなしたり、ステレオタイプな役割を持っているものとみなすような」行いこそが問題視されているのである。平たく言うと、女性への偏見→女性を性的なモノとして扱う描写→女性への偏見→……というデススパイラルが懸念の対象である。この悪循環のプロセスで、女性に対する性的暴力が軽んじられたり、ないことにされたりするのが恐ろしいのだ。これは、「レイプするゲーム→影響されてレイプするようになる」などという素朴思考では決してない。
このあたりを踏まえないで議論しても、おそらくは空回りのままだろう。

まとめ(になってない)

  • 人権団体の人たちは、「ポルノグラフィーによって直接的に性犯罪の頻度が上がる」ことを心配しているというよりも、「ポルノグラフィーによって女性への偏見(女性を性的なモノとしてとらえる)が再生産され、女性への暴力が軽く見られる社会情勢がつくられる」ことのほうを心配している(んだと私は考える)
  • なので、性犯罪の発生率を反証として取り出すのは、得策でないかもしれない。「日本では女性への偏見が根深く、実際には被害に遭っている女性たちが声をあげられないでいるのだ」という再反論もありうるからだ。
  • さらに言うと、これからポルノグラフィー擁護論を展開する際、それが「性犯罪を惹起しない」ことを立証するだけでは不十分で、「女性に対する偏見・ステレオタイプを惹起しない」ことを立証する必要があるだろう。これは極めて難事業であることが予想される。

最後に思ったこと

はてなではついこの間まで列車内の痴漢行為についての言説交換が活発になされていたように記憶しているのだけれど、今回のYOMIURI ONLINEの記事に対してそのような観点で切り込んでいる言説が見当たらない気がしました。私の調査不足だとよいのですが。