電車内での痴漢とその冤罪に関するメモ

「この人痴漢です」と別人を突き出す人にも

  1. 痴漢行為の事実を捏造するなどして、他人を陥れて利益を得ようとする者
  2. 実際に行われた痴漢行為を利用するなどして、利益を得ようとする者
  3. (これまで受けた痴漢行為などの影響により)本来痴漢行為でない出来事まで痴漢行為であると錯誤してしまうような状態にある者
  4. 実際に痴漢行為に遭っていたが、無関係の人を捕らえてしまった者

等々のバリエーションが広がっているわけだが、痴漢行為を行わない男性から見れば、いずれも「自らの社会的生命を抹殺しかねない」という点で差異がなくなってしまう
とはいえ、上述のようなバリエーションに対しては、各々異なる対応が必要なはずである(例えば一番上なら、警察で調書を取る際に、被害者の経歴もチェックしてみるとか)

痴漢行為の摘発システムにフリーライダーがいるとすれば

言い換えると、「痴漢行為の摘発において、被害女性側の証言がほぼ無批判に採用されるという現象を悪用し、利益を得ようとする者」がいるとすれば、それは痴漢対策に対する社会からの注意を混乱させる。「フリーライダー憎し」の感情が社会的優位に就けば、これまで痴漢対策に払われてきた社会的リソースが撤退していく恐れもある。結果として、痴漢行為に苦しむ女性は(男性も)置き去りにされる。
フリーライダー対策は必要だが、痴漢対策それ自体からの撤退は避けられねばならない(当たり前)

電車内での痴漢行為の再犯率は?

児童への性犯罪者においては、その再犯率の高さから、居住地の追跡・公開の是非という議論に突入するわけだが、翻って痴漢行為はどうか。もし再犯率が高いようであれば、初犯の段階では社会的ロスを最小限に抑えるようにする、という手当てが有効かもしれない。累犯になって初めて厳罰を科すようにするのである。
言い換えると、現状において「痴漢行為の初犯に対する社会的損失」が大きすぎるのではないか、ということである。人間誰しも間違いはあるわけで、その誤りを過剰に増幅してしまうことに現行制度の不幸があるように思える。

電車とは性別を分かつものであるという

社会的合意が必要かもしれない。銭湯のようなもの。しかし(生物学的な)同性間の痴漢行為もある。さらに、性差とは多様なものであるというスタンスをとるならば、男女の二元化では不十分である。究極的には、全部個室にするしかないかもしれない。