美しさと社会的地位との関係
に対して、
2007年09月30日 yuuboku 世界受容, 本気? イケメンは美しさを活かした仕事をする。そうでない人は他の能力を活かした仕事をする。それだけのこと。
とコメントしたところ、
2007年09月30日 watapoco id:yuuboku氏のコメントに軽く衝撃。美人は総合職来るなっつったらどうなるか。それと同じ話。
というご意見をいただきました(ありがとうございます>id:watapocoさん)
何か見落としていたようなので、時間をかけてもう一度考えてみます。
もう一度考える
元記事を読んで私が思ったことを、順を追って書いてみます。
- そうか、男性社会の序列ではイケメンは排除されるのか。
- ん? 待てよ、テレビ*1や雑誌の中にはイケメン沢山いるよな。
- あの人たちはあの人たちで序列の頂点にいるような感じだなあ。
- はて、(ブサメンが多いという)政治家だけが序列の頂点なのか?
- 男性社会にもいろんな序列があるんじゃないのか? 美しさが有力な序列があったり、他の能力が有力な序列があったり。
- だったら、それぞれの序列がうまく住み分けていればいいんじゃないか? 個人個人は、自分の美しさや能力を発揮できる序列を選んで戦えばいい*2。
そこで私は、「イケメンは美しさを活かした仕事をする。そうでない人は他の能力を活かした仕事をする」と書きました。これは、「イケメンは美しさを活かした仕事をするべきである」という含意ではなく、「多元的な序列があるんじゃないの?」というのが本意でした。理解しがたい表現だったことをお詫びします。
でもまだどこかが間違ってる気がする*3。
それにしても
電車内での痴漢とその冤罪に関するメモ
「この人痴漢です」と別人を突き出す人にも
- 痴漢行為の事実を捏造するなどして、他人を陥れて利益を得ようとする者
- 実際に行われた痴漢行為を利用するなどして、利益を得ようとする者
- (これまで受けた痴漢行為などの影響により)本来痴漢行為でない出来事まで痴漢行為であると錯誤してしまうような状態にある者
- 実際に痴漢行為に遭っていたが、無関係の人を捕らえてしまった者
等々のバリエーションが広がっているわけだが、痴漢行為を行わない男性から見れば、いずれも「自らの社会的生命を抹殺しかねない」という点で差異がなくなってしまう。
とはいえ、上述のようなバリエーションに対しては、各々異なる対応が必要なはずである(例えば一番上なら、警察で調書を取る際に、被害者の経歴もチェックしてみるとか)
痴漢行為の摘発システムにフリーライダーがいるとすれば
言い換えると、「痴漢行為の摘発において、被害女性側の証言がほぼ無批判に採用されるという現象を悪用し、利益を得ようとする者」がいるとすれば、それは痴漢対策に対する社会からの注意を混乱させる。「フリーライダー憎し」の感情が社会的優位に就けば、これまで痴漢対策に払われてきた社会的リソースが撤退していく恐れもある。結果として、痴漢行為に苦しむ女性は(男性も)置き去りにされる。
フリーライダー対策は必要だが、痴漢対策それ自体からの撤退は避けられねばならない(当たり前)
電車内での痴漢行為の再犯率は?
児童への性犯罪者においては、その再犯率の高さから、居住地の追跡・公開の是非という議論に突入するわけだが、翻って痴漢行為はどうか。もし再犯率が高いようであれば、初犯の段階では社会的ロスを最小限に抑えるようにする、という手当てが有効かもしれない。累犯になって初めて厳罰を科すようにするのである。
言い換えると、現状において「痴漢行為の初犯に対する社会的損失」が大きすぎるのではないか、ということである。人間誰しも間違いはあるわけで、その誤りを過剰に増幅してしまうことに現行制度の不幸があるように思える。
電車とは性別を分かつものであるという
社会的合意が必要かもしれない。銭湯のようなもの。しかし(生物学的な)同性間の痴漢行為もある。さらに、性差とは多様なものであるというスタンスをとるならば、男女の二元化では不十分である。究極的には、全部個室にするしかないかもしれない。
早ね早おきの恐怖
さて、Imaginary Linesさんの記事で知ったんですが、早ね早おき朝ごはん全国協議会というのがあるそうです。早ね早おき朝ごはん全国委員会の会員の皆様は、低賃金で深夜・早朝に人を働かせるコンビニエンスストアは絶対にご利用なさらないし、もし経営者や管理職の任にある会員の方がいらしたら、従業員を決して残業させないくらいの気概をお持ちであると信じたいところですね。おっと脱線。
で、そこの早ね早おき朝ごはん コミュニティサイトを見てみたのですが、いきなりなんかすごい写真が。
とりあえず見てきてください。
http://www.hayanehayaoki.jp/modules/myalbum1/photo.php?lid=885&cid=1
……シェーはいいからとっとと服着て寝なさい。風邪引くぞ。あと後ろの妹はぱんつ見えてる。
生まれて初めて一眼レフの写真機で撮った写真です。
先に寝る弟と妹を撮りました。
「先に寝る」って、ここは早ね早おき朝ごはんコミュニティなんだからあなたも早く寝なさいよ。いや違う。お兄ちゃんだかお姉ちゃんだか知らないけど、もうちょっと配慮してあげればいいのに。協議会の中の人たちも配慮してあげればいいのに。それともナニか、早ね早おき朝ごはんという崇高な目的の前では、女児が自らの上半身裸にぱんちら、あまつさえシェーをオンラインで全国に公開されその手の人たちにハァハァされる(やめなさい)くらいは些細なことなのか*1。これが安倍首相のおっしゃる「美しい国」の顕現なのですか。気になって今夜は早ねします。
打ち上げチャットに参加する。
『バックラッシュ!』キャンペーンブログのフィナーレ企画、打ち上げチャット大会に参加してきました。メンバーの方々とはまったく面識がなかったのですが、入室するなり「ドギレースで注目のyuubokuさんだ」と声をかけられ大いに驚きました。えっえっ何があったの!?
続きを読むゲームで人の死を表現するにあたり。
往年のファミコンに「エレベーターアクション」というタイトルがあったのをご存知だろうか。スパイが屋上からビルに忍び込み、敵を銃で倒しつつ階を折り、機密書類(だったと思われる)を奪取して脱出するというアクションゲームだ。このタイトルでは、人は撃たれると次のようになる:
- たおれる
- のたうちまわる
- 集中線を残して消滅
これはプレイヤーキャラでも敵キャラでも同じである。また、エレベータに挟まれたり、高いところから落ちたりしても死ぬのだが、その場合は少し異なる描写がなされる*1。
さてここで疑問。この「エレベーターアクション」のようにして人の死を描写するのと、夥しい量の血あるいは臓物を噴出することをもって人の死を描写するのとでは、どちらが「残酷」だろうか?
参考資料:
文庫版も出ているようですが読んでいないので新書版。キャラクターの死をいかにして示すか、という問題提起があります。
*1:上下につぶれるといったもの。
コスプレをしてみた。
夜中に思いついたのですが明日も仕事なのでやっつけです。
『バックラッシュ!』(キャンペーンブログはid:Backlash)の表紙のお姉さんのコスプレをしてみました。
といっても私ではなく、
創作造形©ボークス・造形村
表紙のお姉さんは身長50mだそうですが、こちらは身長22cmです。
色がわからないので、手元にあった水色で作ってみました。
……すいません。こんなアホばっかりですいません。
いつか真面目な書評を書きたいです。